- 生年月日
- 1950年5月31日生
- 経歴
- 駒澤大学大学院 仏教学部卒業後、
三島学園三島高等学校にて社会科教諭を務める。
1980年、現住職父である前住職(清孝和尚)が突然の遷化。
1982年、福泉寺の住職となる。
なお、1990年からは保護司としても活動中。
- 趣味
- 野球観戦、駅伝応援、将棋、合唱、デコメ(笑)
愛用のデコメ画像
福泉寺の、いくつかの風景を切り出して見ました。
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福泉寺の歴史を、簡単にではございますが、ご紹介いたします。
| 今年で | 年目 | |
| 真言宗として | 年 | |
| 曹洞宗として | 年 |

(821年)
1543年
1574年
1688年(元禄元年)
現在
田子浦の浜辺に面していたので、山号を海嶋山、
寺号を福泉寺とした。
住職だった悦堂種闇和尚は、当時
高僧として名高い命山種長和尚が富士の成安寺におり、
特に敬慕していたので福泉寺へ迎え、悦堂種闇和尚自らは
引退した。
曹洞宗の僧侶だった命山種長和尚がこれまで
の真言宗から曹洞宗に改宗した。
中丸は度々津波に遭遇するので
中丸から現在の柳島に移転した。
安政大地震では本堂などが倒壊したり、火災に遭ったりと、
苦しい時期が長く続き、昭和30年に仮御堂から現在の本堂
に建て替えられた。
その後、現住職になってからは『明るいお寺』を目指し、
休憩所や遊具、檀家の人の憩いの場所にと憩いの部屋を
建立。
現在に至る。
尚、当寺には石仏のお薬師さまを祀ってある。
1204年(建久4年)に源頼朝が富士の裾野において巻狩をした際、曾我兄弟が十郎祐成の愛妻、虎御前の手引きを得て、父の仇、工藤祐経を討ち果たしたことは周知の事柄でありますが、十郎が闘死するに及び、虎御前は剃髪して尼となり、十郎の菩提を弔って暮らしていた。
そんな中、虎御前は大磯(神奈川県)の海岸で石の薬師像を拾ってきた。
それを西行法師に見てもらった所、『これは弘法大師の作だ。世に得難いものだから大切にしなさい』と教えて下さったので、虎御前は仏壇にお祀りし、毎晩回向していた。
翌年、曾我兄弟の7回忌を終えた虎御前は信濃の善光寺へ旅立ち、21日のお籠りを
した後、使いの者に頼んで『富士の麓の福泉寺というお寺は曾我兄弟をお祀りしてある
寺ですから、どうかこの仏様を福泉寺へ届けて下さい』と言って、息を引き取った。
ところが、使いの者が鷹岡の福泉寺(現在の曽我寺)と柳島の福泉寺と間違えて、
柳島の方へ届けてしまったのだ。
それ以来、当寺ではお薬師様を大切に祀っている。

















